北京オリンピック 開会式の演出について
北京オリンピックの開会式がありました。
全体的には最先端の技術を駆使した王道の開会式という感じがしました。
短時間にすることで簡素化された開会式をアピールし、光と映像の最先端技術を駆使して技術力の高さをアピールし、きれいな雪の結晶やかわいい子供たちをふんだんに使った開会式で、下手な小細工をせず単純にいいと思われるものをそのまますべて突っ込んだ開会式という感じでした。
こうなると、すぐに東京大会では、というのが頭に浮かんでしまいますが、
本来こういう開会式が一番受けがいいはずなのに、日本のベテランの演出家などではあまりに王道過ぎて恥ずかしくて?やれないのかもしれません。
東京大会などを見た限りではひねりすぎて小細工しすぎて単純な受けとしては失敗しているような気がします。
東京大会は直前のゴタゴタがあり、”あの時点では”素晴らしい開会式にするということよりも、開会式をやるのかやらないのかなどの方が大きな話題になっていたような感じだったので今になってからあの時の開会式は・・・、とうのもこくなような気がします。
そうであればもっとメディアや皆でそういう方向性の盛り上がりにしなければいけなかったような気がします。
おそらくボツになった演出の中に今回と同じかそれ以上の演出があったのではないかと思ってしまいますが。
最後の聖火ランナー、聖火点灯では、最終ランナーのウイグルの選手はいかにもという演出でした。
各国のプラカードが大きな星の結晶になっているというのは素晴らしいなとは思いました。
トーチをそのまま聖火にというのも簡素化をアピールしているということもありありかなとは思いましたが、遠くから見ると聖火が全く見えなくなってしまうのでもう少し大きい炎になるような何か工夫があった方がもっとよかったかなとは思いました。
カザフスタンのお姫様は今回も話題になっていました。
プラカード持っている子もみなかわいいという話もありです。
簡素化、費用に関しては実際にはもっとかかっているという話もありです。